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オシム氏

 サッカー日本代表の次期監督にオシム氏が決まりそうです。私は良いと思います。少なくともエスプリの利いた発言で楽しませてくれそうです。
 日本人も変わって来ましたが、元来長老を尊ぶ気質があります。指揮者のカール・ベーム氏を始めとして巨匠や樹齢何百年の古木とか、古都を好みます。年輪だけでまず一目置く国民性からすると正解でしょう。
 何か考えてそうな魔法使いの風貌も○ですね。
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日銀総裁殿

 サッカーの審判は、尊敬されていなくてはゲームをまとめる事は出来ません。警察官も学校の先生もそうです。
 金融の番人、トップたる日銀総裁が、いささか以上の疑念を持たれては、日本のマネーゲームを取り仕切れず、モラルの低下、反則の連鎖を招くことになるでしょう。他にやれる人材は沢山います。あなた程度でもやれるのだから。ここは潔く身を処すことが世直しになるのです。今更ではかっこ悪いですが…。
 法律は最低限のルールです。破ればお縄になる程度のことを「やってないからなぜ悪い?」とリーダーに開き直られては日本も終わりです。こういう方々にはモラルを持って範たる行動をして頂きたいと思います。
 もしかしなくても既に机の肥やしになっていた代物でしょうが、「日銀マンの心得」が白日の下、笑いのネタになったこと一つをもってしても総裁失格だと思いますが、如何でしょうか?

サッカー考

 ジーコジャパンがW杯予選敗退という結果に終わりました。課題は色々あるでしょうし、ジーコ監督の「選手のプロ意識の欠如」発言は最後っ屁のようであまり印象が良くなかったものの、核心を突いているとも思えました。
 その一因はにわかサポーター達の「でも良くやった」「お疲れ様」的な発言にあるのではないかと思います。結果が出なければ「バカヤロー」「どの面下げて帰ってくるのか」といった批判を受けるのがプロです。アマではないのです。まあ、スポーツに目くじらを立てる必要はないのですが、これでは強くなりません。
 次に、オーストラリアに負けた時でも厳しいのにねクロアチアに引き分けた時点でも、まだ望みがある、絶対ブラジルに勝つ的な盛り上がりは何だったのでしょうか。マスコミもいい加減です。これもサッカーだから許せる話ですが、本当にサッカーだけなのでしょうか。絶対勝てる、負けが込んできたが、次は勝てると信じさせ続けた、あるいは指導部もそう思っていたのが、先の戦争ではなかったのかと思えます。
 批判しない、似非いたわりの精神とノー天気な希望的観測。民族性、国民性なのだとしたら、怖い話だと思いました。

村上ファンド問題考(1)

 出る杭は打たれるという日本古来の戒めを知ってか知らずか、村上氏も逮捕されちゃいました。ライブドアに続くこの件も多くの問題、疑問を含んでいると思います。
 まず第一に資本主義は完璧なシステム、ベストなシステムではないのではないかということです。

 以前芋汁の椀の中で、社会主義は人間の本性とは相反することから破綻した、そして存在した社会主義自体も実態は単なる独裁主義、指導層の富と権力の構造だったと書いた記憶があります。
 その点では資本主義は勝っています。だから勝利しました。中国は一党独裁ですが既に資本主義、戦後の日本のように統制された半資本主義で急成長しています。さすが中国四千年の歴史、うまく軟着陸しました。

 マネーゲーム化は日本だけではなく、本家の米国でも起き、また世界経済を実態とは別に動かしています。これは資本主義の欠陥なのか、その運用ルールに問題があっただけなのか。
 私には、資本主義は地球という限られた枠の中では全ての人が裕福になれる仕組みだとは到底思えません。無限に拡大することが資本主義の前提条件のようであり、極論で言えばねずみ講と同じ、そんなうまい話はないよ、いつかは破綻するという気がします。勿論、経済の仕組みを何も知らないズブの素人としての単なる「感」ですが…。

村上ファンド問題考(2)

 村上氏は自身で株取引のルールを作ったという自負が一線を踏み外したとも言われています。
 確かにルールは神聖なもの、審判は絶対出なければゲームは成り立ちません。しかし公正なスポーツでさえ、自国に有利なようにルールの改正が頻繁に行われている競技もあります。
 村上氏の場合、自負というより、官僚が作った法がザルだということを熟知していた、小馬鹿にしていたのでしょう。自尊心の強い人が良く陥る罠です。
 また法はそれを使う人よってどうにでもなるものということも解ります。法の隙間を突こうとすれば、偽装建築もインサイダー取引もそう難しくはないでしょう。
 片や裁く側も生け贄、見せしめを決めて、あとは蓋をします。今回も旧勢力の財界、金融界あるいはもっと別の力によって、新興勢力を叩き潰したとも言えます。官僚機構そのものが旧勢力なのですから。
 レベルも内容も全く例として持ち出すのもはばかられますが、本能寺の変と構図は似ています。諸説はありますが、信長も出る杭は打たれたのだと思います。
 自分は杭ではなく、巨大な柱になったと思った時に隙が生じるのでしょう。杭どころか、焼き鳥の串にも満たない私等にはうらやましくもある話ではあります。

原理主義(番外編)

 「そう言うあんたは遺伝子原理主義者じゃあ〜りませんかぁ!」と言われそうです。確かに、そうかも知れません。
 映画のマトリックスを脳みそがこんがらがりながら見ていて、相手はコンピューターではなく遺伝子というのが真実なのではと思えました。インフルエンザ菌から人類までを一貫して管理している遺伝子。ではなぜ遺伝子は自己増殖を行うことを身上?本分?目的とするのかという問いの答えは解りません。
 井の中の蛙が田んぼを理解出来ない、あるいは宇宙の外は何なのかを創造出来ないのと同じことのようです。

原理主義(後編)

 他を認めないという原理主義は、結束力としては強い。しかし偏った思想や勢力は長続きしません。会社でも国家でもそうです。それは遺伝のフラクタルだと思います。異なった遺伝子を取り入れた生物が残り、極端に進化、反映した生物は滅びています。
 人類は地球という乗り物には定員オーバー状況なので、みなが豊かになれるはずはありません。従って紛争は絶えず、十中八九は絶滅の道を歩むことでしょう。
 末法思想のようになってしまいました。深謝。

原理主義(前編)

 世の中、原理主義の対立でとげとげしくなっています。
 みな豊かであれば争いは起きないというのが自論です。一時の日本がそうで、その結果、労働運動やスト、過激派も姿を消してしまい、格差社会になっても牙はまだ生えてこないのは嘆かわしいです。勿論、自分自身も含まれています。
 しかし多くの国では異民族、宗教、宗派で対立しています。錦の御旗を立てた方が強い、結束するというのと原理主義は類似していると思います。人を救済する宗教が人を殺していいものかと思いますが、そもそも信仰から宗教への進化?の過程でその性格は御旗や権威に変貌してしまうもののようです。
 宗教がなければ歴史の中で死んでいった人々は少なくなったという意見もあり、私もそう思っていましたが、仮に宗教という概念が人類になければ、別の理論で殺りくはあったのではと最近は感じています。
 自分あるいは家族、そして民族、つまりは遺伝子が近いものを優先するという襦袢からは絶対に逃れられないのです。細菌から人類まで全ての生物はこのDNAに支配されているということを理解しないと何も始まりません。
 自由平等の精神の押し付けや対話によって平和な社会を作るというのは本末転倒であり、豊か=遺伝子の存続に危険がない状態にするしか、対話を始める糸口はないと思います。
 この意見に批判も多いと思いますが…
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