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女難

 小泉首相は、女難の相なのでしょうか?真紀子さんとの関係がこのようになりましたが、次の大臣も女性の支持離れを警戒して、緒方さんらに外相を要請しているみたいですが、どうでしょうか…?
 よく聡明な女優さんでも男運だけは悪いなどどいう人がいますが、人間の気質というか、そういう部分は一生変わらないと思います。人は生まれながらに平等ではなく、長所短所に関係なく様々な特質を持って(親から引き継いで)生まれてくる。その気質を上手い方向に引き出せるか、または運があるかどうかだと思います。
 別に努力無用論者ではないのですが、その事実は受け止めて生きる必要はあるのではないでしょうか…
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改革の挫折

 江戸時代の改革を見ると分かるのですが、一応成功したのは将軍吉宗だけです。
 その他の老中、若年寄の改革は、その内容よりも地位がトップから与えられた形であり、反対勢力も政権転覆を画策して非協力的だったのだと思います。健勝な将軍であれば、内心反対しても従わざるを得ないというか、キムに対抗心は起きません。
 日本の首相についても10年で10人でしたか…同じ主要でも英国にはとても及びません。米国の主導で出来た民主主義としてはこの程度なのでしょうか…。選挙で選んだ議員も党の利害で首相を選ぶ…一般の有権者には自分が選んだという気持ちは、政党に関わらず起きません。当然、政治家の間にも国の長という気はないく、足の引っ張り合いになります。
 小泉さんはその成り立ちが気宇であり、支持率も高いのですが、やはり幻想の上に立っていると言えます。
 良し悪しはあっても改革を行う時代には、首相公選のような形で、たとえ失敗しても自分で選んだのだからという何とかしたいという気にならないと、難しいと思います。
 小泉改革の前途は多難というより難しい、そして改革が挫折した後は更に悪化した世情が待っていると思えます。

田中外相更迭

 一連の騒動をTVで見ていると、子供の喧嘩にしか見えません。
 受験勉強に明け暮れて常識分からない外務省高官がバカなのか、誰でも当事者になるとそうなってしまうのか、人間というものはそういう了見の生物なのか、とにかくがっかりするだけのことです。首を挿げ替えても同じことではないでしょうか?

動物、人間、ロボット?

 ただこのDNAvsロボットを複雑にして行くと想像される、もうひとつのポイントは、人類が宿主であるDNAの存在に気づき、その正体の全容を解読しようとしていることです。ある意味で主従関係が逆転し、DNAを操作して人類が進化する可能性があります。
 これは諸刃の刃で人類にコントロール出来るだけの知力・能力が備わっているか?という疑問もありますが(この点は過去にも話題にしこれからも考えていきたいと思っています)、著しい進化のスピードと分化していくと思います。極端な話、ロボットがそれぞれの目的に合わせて多様化するように、技術的には人間も多目的化出来るようになるということです。
 主従関係の逆転と述べましたが、あるいはこれもDNAの戦略なのかも知れません。ただ単にDNAvsロボットという図式ではなく、有機体ロボットにDNAを組み込んだサイボーグも当然生まれ、宿主のDNAは、我々が自転車から4WDに乗り換えるように、人間を乗り捨てにするのかも知れませんね。(^_^;)
 未来から歴史として眺めると、当然の結末と写るのかも知れませんが、その時代に生きている当事者には、この先どうなるのか分からないというのが現状です。

動物、人間、ロボット?

 だからといって、私自身もロボットは怖いという気持ちは起きません。これは日本人やアジアの人々、仏教的な世界観に根ざしているということで、日本人のペットロボットブームにも繋がるとのことです。ハリウッドのSF映画ではターミネーター等のようにロボットとの戦いが定番ですが、これはキリスト教的な世界観の現れだそうです。
 かつて生命は、RNAワールドvsDNAワールドの戦いがあり、今まさにDNAの殻に過ぎない人類によって作り出されたロボットの出現によって、DNAワールドvsロボットワールドの戦いが起きようとしているのかも知れません。

動物、人間、ロボット

 今読んでいる本(注)は、テクノアニミズムについて書かれているが、本質的に人間・動物・ロボットに差異はないように思えます。将来有機体のロボットも登場するでしょうし、ロボットがロボットを作る=自己増殖も行われています。唯一違いがあるとすればDNAが介在するかどうか(というより私はドーキンスの唱える生物ははDNAの乗り物、殻であるという考えに賛同している)という点でしょうか。
 突然変異と自然淘汰で進化して来た(というより多様化してきたと言う方が正しいのでしょうが)、生物の端にいる人類は、同様の過程を経て進化するよりも早く、自らが作り出した新しい生命「ロボット」にその座を譲ることになる可能性が高いと感じています。

(注)「人間・動物・機械−テクノアニミズム」(奥野卓司/角川書店)

合掌

 人の一生を思うと、原子から宇宙までの法則の揺らぎの中で進みたたずみ、その生を全うするしかないようです。5年10年後は分からないまでも、明日は大丈夫だろうという気は誰でも抱くし、そう思わなければ生きて行けないのではないでしょうか…。
 結果論はいくらでも言えますが、本当に呆気なく幕が下りることもあるのだと感じました。ただ生きた証は何らかの形で次代に受け継がれていく…、これも宇宙の法則だと思います。合掌。

ポルノグラフィティ

 今日はカミさんに付き合って、ポルノグラフィティを聴きに横浜アリーナまで行って来ました。大半が若い娘さん達で、場違いのおじさんに写ったことでしょう。自分ではまだ若く、ちょっと年上のつもりなんですけどね。
 海外で外国のアーティストのコンサートを見たことはないのですが、みんな知ってて一斉にお決まりの振り付けをあちらでもやるのでしょうか?それとも日本独特の慣習を、それらに無縁に見える若者も引き継いでいるのでしょうか…よく言われる野球の応援パターンの延長なのかな?日米の応援の違い、決まったバターンが好きなのは民族の特徴か、伝統芸能(能、歌舞伎…)もここぞという時にお決まりのバターンで締めますし、TVの時代劇(水戸黄門、金さん、桃太郎侍、暴れん坊将軍etc.)もそれぞれにラストの十八番があります。分かりきったワンパターンで何だかんだ言われますが、やらないと視聴率が下がります。
 御託を並べる私はどうしたかって?最初は恥ずかしいのですが、そのうち混じってやりましたヨ!気持ち良く!

成人の日

 今年も昨年の荒れた成人式の話題を引きずり、マスコミが面白おかしく報道しています。昨年お縄になった事例があったせいか、馬鹿馬鹿しく写ったせいか、今年は比較的穏やかでした。子供の頃、テレビで見た学生運動とは筋金が違っているんですね。
 時代によって元服の歳は違うみたいですが、現代に於いて20歳が成人と言うのは早いような気もします。学生の人も多いでしょうし、自分の学生時代を考えると(今も五十歩百歩ですが…)行動様式は異なっても大差ないなと思えます。
 まあ人間なんて大したものじゃないと思った方が、肩の力が抜けて人生のほ歩様もスムースになるんじゃないでしょうか。

万全なんて幻想

 現在、私はヒザを故障中です。まあ、考えてみるとマラソンやってて痛む部分がなく、体調万全・気力充実なんて時はないような気がします。(まあずっとサボっている時は少なくとも痛みはないのてすが…)
 生活している上でも悩みや不安のない時というのもないですね。ひとつ悩みをクリアすると次の不安が芽生えて来ます。直面した問題はきつく辛いのですが、過ぎた後振り返ると小山でしかなく、次に現れた難題が大きな壁面となって眼前にそびえ立ちます。
 走っている時の苦しさもまた似ています。そんな時、心構えによっても差が出ます。こんなはずじゃなかったと思うと苦しさに耐えられず、気持ちが切れてしまいますし、最初から覚悟していると「こんなもんだ」「つべこべ言わずに進もう」という気になります。
 身体も心も、人間生きて行く道程では、万全ということはない。これが当たり前という気持ちが持てるようにしたいと思っています。

絵画と写真

 今日、マラソンの帰りの荒川の土手で、キャンパスに風景画を描いている愛好家がいました。絵画=絵を描くことは、記録性、情報伝達等の手段として発達し、単に視覚として捕らえられる世界を模写することから、人間の内面の世界の表現へと展開して来ました。
 同様に絵筆に替わる手段として、近代になりカメラつまり写真が生まれました。そこでふと思ったのが、絵筆という手段の前に写真があたら、絵画は発展しただろうかという疑問です。まあ写真の場合、機械(科学)の発達がない存在せず、タイムマシンでカメラ技術を太古まで持ち込まないと成立しない話なのですが、この仮説の答えはどんなもんでしょうか?
 絵筆も写真も単なる道具なのか…それならばパソコンが発達した今、手で字を書くということは歴史の遺物となるのか、レコード(アナログ)がCDやMD等のデジタルに取って代わられる事と同類なのでしょうか?

朝比奈さん

 年末に指揮者の大御所である朝比奈隆さんが亡くなりました。巨匠と呼ぶにふさわしい風貌と人柄で、晩年は指揮台に立っているだけでいいとオーケストラから懇願されたと言います。往年のカール・ベーム氏もそうでした。
 人間、特に日本人には長老に対する敬意の感覚がありますが、その人物からにじみ出るような経験と精神の深さがなければ、ただ歳をとっているだけではダメです。私などはとても無理です。
 ただ少なくとも現代の日本の政治家には、そのようなタイプは見当たりません。老獪(ろうかい)というか妖怪のような方々は沢山います。塩爺も軽過ぎますし、日銀の速水総裁や宮沢氏はしぼんだ妖怪のようで、あれではみこしを担ごうという活力が生まれません。…というより気持ちが萎えてしまいます。
 日本では小泉首相のようなトップ自らが先頭を切るタイプは、短命になる可能性が高いと言えます。朝比奈さんのようなトップのもと、トップに全幅の信頼をおく有能なメンバーが自発的に機能するような政府が臨まれるところです。
 

宇宙?

 昨日の続き。
 昔から判っていることですが、太陽はその最後に膨張し、地球は海がなくなり灼熱の地獄となり、生命が存在できない星になります。その時、地球人が生きていればスペースコロニーなる宇宙船で、新たな大地を求める旅に出ると言っていました。
 つまり、移住できる星を探すと言うことは、我々が映画「インディペンデンスディ」の逆の立場になるということです。地峡人が住みやすい星ということは、既に生命が誕生し、あるいは知的生命が存在している可能性が大ということでしょう。文明と文明が出会う時、そこには融和より淘汰があるのではないでしょうか。

宇宙

 昨年末に放送されたNHK「宇宙」のシリーズの録画を見ました。
 木星の衛星エウロパの表面の氷の下は深さ100kmの海があり、生命がいる可能性が高いそうです。意外と身近?に地球外生命と遭遇できそうです。
 他には木星が地球への隕石の衝突を1/100に抑えてくれていることで知的生命まで進化が出来たこと、太陽風のバリアーが有害な宇宙線から太陽系をシールドしていることなど不思議が一杯でワクワクする話です。CGが発達したことも宇宙もの、科学ものの放送を楽しく判りやすくしてくれています。

才能とは…

 新春の高橋選手のインタビュー番組を見ました。
 才能とは心肺能力だけでなく、耐えられるというか、苦しみを感じない精神も当てはまるんてすね。苦しいというのは、身体を守る為のセーフティー機能なのですが、その保護回路が甘いというのは危険と隣り合わせだともいえます。人と違っていること、標準偏差の端にいることが希少価値というか才能と言えます。つまり他人と同じことをしていると安心するというか、人並みでありたいという本能とズレた感覚の持ち主が天才・才人と言える…というのは飛躍し過ぎでしょうか?

物言わぬ声

 アフガンの戦いは終息に向かいつつありますが、現地では毎年3.5万人の子供達が「はしか」で亡くなっているそうです。米国のテロも大変なことですが、こういう問題を解決しない限り、争いの芽は絶えないと思います。
 五木寛之氏が言うように、国内の自殺者も毎年3万人、アフガン以外でも飢餓や伝染病等でいったいどれだけの人々が亡くなっているのでしょうか?

恭賀新年

 今年一年の抱負はまだはっきりとはしていません。ただ内外とも激動の年になる予感はあります。当然、日本経済の破綻も個人の生活に大きな影を落とすでしょうし、東海地震も近いと言われています。
 個人的にも42歳、益々不惑から遠のいているみたいで、残りの人生を考えるとこのままの歩みで良いのかという思いが強くなります。ただ動くだけのパワーが残っているのかという疑問・不安もあり混沌としている心境で新年を迎えました。
 まあ混沌を打開しようとは思わず、出来ることを即決してこなしていく、動きの中から硬直した感じを解きほぐして行こうと考えています。
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具備丼

Author:具備丼
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